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安全な土地(号外):不動産鑑定士嶋内雅人のブログ

https://ameblo.jp/daigotukune/entry-12077711714.html


さて、前回のメルマガ「安全な地盤」について、読者の方からご質問を頂戴しました。「関東の土地は砂等の堆積地であって岩盤ではないため、地耐力はないのではないか」というものです。重要なご質問だと思いますので、この号外でお答えいたします。

以前、私は仕事で大阪の街を歩いたことがあります。心斎橋から梅田までの御堂筋です。起伏はまるでなく、平らでした。その後何回も大阪を訪れたことがありますが、少なくとも中心市街地には起伏は見当たりませんでした。

他方、東京はどうでしょう。東京駅から新宿駅まで、靖国通りを経由して歩くとします。すると、九段下のあたりで日本武道館を左に見ながらの登り坂になります。登り切ったところが、靖国神社です。

このように、東京の街には起伏があります。大まかに言って、西側の武蔵野台地が張り出した台地の部分と、東側の低地の部分です。

その台地の部分が、関東ローム層です。これは、約258万年から約1万年以上前にできた地層です。その後、地球は温暖化しました。現在より1~2度気温が高かったそうです。当然南極の氷や氷河等も解け、海面が上昇しました。これを縄文海進といいます。今から約6千年前がピークだったそうです。

この時代には、東京都や埼玉県の東側の低地は海底でした。この時に、流入する河川が運んできた土砂によって、現在の低地部分が形作られました。形成された年代が新しく、また低地で水を含みやすいため、台地に比べて軟弱な地盤ができたわけです。

実際、江戸城の堀は東京湾の入江を利用して作られたものです。「おくのほそ道」の冒頭には、松尾芭蕉が深川(現在の江東区)の庵から舟に乗り千住(現在の足立区)に向かう描写があります。江東区のあたりは、当時のヴェネチアさながらに掘割があったそうです。

他方、東京で縄文時代の遺跡として有名なのが、大森貝塚(大田区)です。JR京浜東北線大森駅のすぐ近くで、電車から記念碑を見ることができます。ところが、貝塚はJRの線路際ではなくそれに沿った小高い丘の上にあります。

すなわち、現在のJRの線路のあたりは縄文時代には海だったのです。実際、大森近辺の平地は海を埋め立てて造られました。大森は江戸時代から高度成長期の前までは、海苔の養殖で有名でした。「大森屋」という海苔のメーカーもありますね。

私の勤務先のある千代田区神田界隈は、低地です。東日本大震災のときは、大きく揺れました。机の下にもぐった覚えがあります。ところが、台地である文京区湯島に勤務する私の友人の一人は、大きな揺れだと感じながらも、仕事を続けていたそうです。地盤の違いで揺れも大きく違うのですね。


別の読者の方からは、「30年前の地図を見ると地盤がわかると聞いたが」とのご意見を頂戴しました。


過去の住宅地図は、その土地の履歴を調べる上で役立ちます。以前に、田や沼だったところは、地盤が軟弱である可能性が高いからです。

住宅地図は、東京の国会図書館でコピーが手に入ります。その他の図書館でも備え付けているところもあると思います。住宅を購入される方は、調べてみたほうがいいですね。

東京の国会図書館のURLは次のとおりです。

http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-honbun-601006.php