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管理するための地名の成り立ち:不動産鑑定士嶋内雅人のブログ
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◆―――――――――――― 今回のテーマ ――――――――――――――◆
地名は、もともとは地形や地勢を表すものでした。それだけに、災害がおこり
やすいことは地名でわかることもありました。しかし、地名も変化していきま
す。
701(大宝元)年に制定された大宝律令では、全国が国・郡・里という行政
区分により区画されました。
その際に郡や里にとして採用された地名の多くは、豪族の名前や朝廷の職制か
ら採用されました。「物部」「大伴」「蘇我」「土師」「秦」などがそれにあ
たります。
さらに条里制と呼ばれる土地の区画割りが行われるようになると、それにした
がって整理された地名が見られるようになりました。「○条(條)」「○里」
「○坪」などです。
また、荘園制度に伴う地名も「○○荘」などが現在でも多く残っています。こ
のような墾田関連の地名も管理のためにつけられたものと考えていいようです。
このような地名管理の傾向は、中世から近世にかけてはさらに顕著になります。
たとえば、職業を冠した地名が全国にあります。「大工町」「呉服町」「鍛冶
町」「材木町」「肴町」「八百屋町」などです。こうした地名は城下町に多く
見られ、戦国時代から江戸期に城下町を整備する際に、職人をあちこちから呼
び寄せて、同じ職業の人たちを集住させたことに由来します。
後に集住は解消されましたが、そのころの地名が現在に至っても残っているの
は興味深いことです。日本橋など東京の下町はこうした職業地名の宝庫です。
集住は城下に住む者を管理するための仕組みの一つでした。これとよく似た例
としては、今も全国に広く残っているお寺の檀家制度があります。
これは江戸幕府がキリスト教を禁じた際に、宗教統制の一環として生まれたも
のです。檀家として縛ることで、住人の監視・管理の役割を果たそうというも
のでした。
檀家制度は都市部では形骸化しつつありますが、年忌法要や墓の管理など、全
国的に見ればまだまだ共同体を形成する役割を果たしています。
このような管理のための地名は、伝承地名のように暮らしの中から生じたもの
と異なり、社会的必要性の中から生じたものです。役割が違うことはもちろん、
命名の際の視点も大きく異なるため、地名の持つ意味そのものも変わってきま
す。
現在私たちが使用している住所として使用している地名は、管理のための行政
地名です。その根本には後者の考え方があります。
■編集後記■━━━━━━━━━━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥………
日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。1985年から候補になってい
たそうで遅すぎた気はしますが、世界平和のためにはいいニュースだと思いま
す。
ウクライナやパレスチナなど、世界のあちこちで軍隊が人を殺傷しています。
最近はあまり報道されませんが、アフガニスタンやシリア・リビア・イエメン
などでも人々が戦火にさらされています。
ノーベル平和賞について、いろいろな議論があります。佐藤栄作氏やヘンリー・
キッシンジャー氏が受賞したことには、疑問が呈されました。彼らの受賞につ
いては、私も首を傾げてしまいます。ノーベル平和賞そのものが政治的ではな
いかという意見もあります。
しかし、今回の受賞は素直に喜びたいと思います。被爆者の皆さんの思いが結
実したものです。
さて、ノーベル平和賞受賞の報道では広島被団協の様子が、多く報道されまし
た。長崎被災協の様子はあまり見られませんでした。
なぜかと思ったら、報道がされたときは、長崎の方たちは飛行機で移動中だっ
たとか。そういうこともあるんですね。