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近世の地名は行政が名付けた:不動産鑑定士嶋内雅人のブログ

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◆―――――――――――― 今回のテーマ ――――――――――――――◆


地名はもともと、その土地の地形や位置などを発音によって表していました。
いわゆる口承地名です。

そのため、地名によって災害の危険を知ることができました。漢字が伝わると、
それらの発音に漢字があてられます。

すると、その漢字の持つ意味がその地名の意味であると誤解されることになり
ます。その結果、災害の危険を知るきっかけも少なくなっていきます。

他方、これとは別に、律令国家の成立以降は中央集権化に伴う管理地名がつけ
られるようになります。条里制や荘園制度に伴う地名、中世の武家社会に基づ
いた地名などです。

城下町が発達すると、領主である大名は城下での領民の管理のための町割りを
行い、地名を整理します。

城下町では、大工町・呉服町・鍛治町といった職人に基づく町名や、寺町・番
町・上屋敷町・下屋敷町・鉄砲町など、画一的な地名がつけられるようになり
ます。

この他、大手町(追手町〉・丸の内・二の丸など城下町の名残を残す地名は、
現在も全国に残っています。

こうした「機能地名」とでもいうべき事例には、城下町ばかりでなく、「○○
宿」といった宿場町地名や「○○市」といった市場地名なども含めていいでし
ょう。

その時の権力者(行政)が明確な意図を持って地名を命名することが本格化す
るようになったのがこのころです。

さて、農村部では、平安時代からの荘園制が徐々に変化し、室町時代になると
惣村と呼ばれる地縁的組織を形成するようになりました。村のはじまりです。

当時の村は生活のための共同体としての役割から生じたもので、現在よりも小
さな単位でした。江戸時代には全国におよそ6万の村があったとされます。

これらの村が1889年の市制・町村制の実施以降に併合されていきました。
そして、それまでの村は字になりました。

このうち旧村の単位を継承したのが「大字」で、大字の中のさらに小さな生活
単位として「小字」が残りました。大字・小字には古くからの口承地名が数多
く残っています。


■編集後記■━━━━━━━━━━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥………


米の値段が高いですね。でも、他方で米農家の時給は10円なんだとか。生活
できる報酬を米農家が受け取り、消費者が負担にならない価格で米を供給する。
政治の出番だと思います。

それはさておき、米価格が高騰していることを「令和の米騒動」と表現するこ
とには、違和感を覚えます。1993年の米不足を「平成の米騒動」と表現す
ることにも、私の心の中は疑問符だらけです。

米騒動といえば、米価が高騰したことに対して1918年に民衆が蜂起した事
件でした。米価が上がったことを指すのではないのですが。