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人の領域と稲の領域

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弥生時代以来、日本人は稲作とともにありました。稲をつくりながら生活する ためには、人の領域と稲の領域とを分ける必要がありました。 私たちの祖先が水田として利用してきた河川沿いの氾濫原は低湿地が多いため、 水田として利用するには水利面で好都合でした。 ただし、洪水の際には浸水するため、人が住居を構えるのには向いてはいませ ん。そのため、私たちの祖先は微高地である自然堤防の上に集落を作り、人の 領域としました。稲の領域とは異なる場所です。 現在では想像しづらいことですが、江戸時代以前の関東平野は、歩くのも苦労 するほどの湿地帯が広がっていました。それを物語るのが、房総半島にある上 総と下総という旧国名です。 国名に上下がつく場合は、都に近い方が上になります。しかし、房総半島では 半島の根元に近いところが下総、半島の先端のほうが上総になっています。逆 転しているのです。 これは、房総半島に入る際の経路が、低湿地である当時の利根川河口付近(現 在の東京下町の低地)経由ではなく、海路であったことを示しています。 それほどの低湿地ですから、稲作に向いてはいますが人が居住するのには不適 当です。そのため、人が居住するための集落を作ったり街道を整備したりする ためには、自然堤防を利用するより他ありませんでした。 自然堤防の上を人の領域、後背湿地を稲の領域と分けたのは、自然なことでし た。 しかし、その自然堤防でさえも、数年に一度の規模の大きい洪水では浸水して しまいます。 それでも、後背湿地に比べると水はけがよく、浸水の程度は軽微です。当時の 人々はこれらを経験的に知っており、自然とうまくつきあっていました。 ■編集後記■━━━━━━━━━━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥……… 私のウェブページには、過去のメルマガをコラムとして掲載しています。 さて、以前のメルマガで、将棋棋士の三枚堂(さんまいどう)達也七段につい てAIで秋刀魚移動と検索したところ、デタラメな結果が表示されたと書きま した。 先日、また秋刀魚移動を検索すると、参照サイトとして私のウェブページが挙 がっていました。 違うでしょ。これは私の冗談ですから。 AIのレベルもまだまだだなあ。

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